みや思う ゆえに みやあり

かつてデカルトが残した「我思う、ゆえに我あり」を引用させていただきました。

そもそもこの哲学的な言葉について、個人的な見解を述べさせていただきます。

思うことと存在すること。思うとは頭の中で想像したり、考えたりすることでその人しか知り得ないものです。存在するとは実在して誰もが確認できるものです。

思うゆえにあり、ということは、考えられるから私は実在するのです、ということです。

昨今はネットニュースが氾濫していて、本当かどうかわからないこともあります。フェイクニュースがあったり、部分的に言葉尻を切り取って悪意をもって報じることも少なくありません。

そんな現代だからこそ、受け身で話を聞くだけじゃなく、考えていくことが重要です。

世の中には2つの対極的なものでできています。正義と悪、陰と陽、戦争と平和、東洋と西洋など、いくらでもあります。

目的と手段。世界で起きていること、そのニュースは手段として実行されたことです。手段の奥にある実行者の目的の方が本来は重要なことです。

情報やニュースを自分なりに解釈して、今後を予想する。そんな生き方を目指しています。

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